マイケル=ティルソン・トーマスの、ベートーヴェンの「第九」についての覚え書き

 友人にすすめられて、マイケル=ティルソン・トーマスの「第九」を聴いた。私はこの演奏を聴き大いに戸惑いを隠し切れなかった。これは今までのクラッ シック音楽における聴取の在り方を根底から覆す演奏だと私は考える。まず、この演奏の特徴として音楽の細部のすべてが対等に扱われている結果、音楽を支え ている構造がバラバラにされ分解されるという現象が起きている。一部の現代思想オタクの間でかつて流行った「脱構築」という語彙を思い出さずにはいられな いのは私だけではあるまい。聞き手としては第1楽章の冒頭からクラッシック音楽の解体と終末を目の当たりにしてただただ狼狽する事しか出来ない自分に気が 付くはずである。率直に言ってこの演奏をクラッシック音楽と言ってしまって良いのか疑問符がつく。この演奏は明らかにミニマル音楽の視点でありE・サティ の「ヴェクサシオン」と同質な音楽体験をベートーヴェンの第9で経験する事が可能であるという意味に於いて驚異であり、そういった芸当が出来るこの指揮者 の技量に舌を巻くばかりである。

 しかしながら、ベートーヴェンをヒエラルキーとする音楽聴取のあり方がいかに行き詰まったからといって、この様な脱構築的方法をあえてベートーヴェンで 採用することが現代の音楽芸術が抱えている行き詰まりを打破すると本当にティルソン・トーマスは思っているのであろうか?とても信じられない話である。確 かにこのような演奏はとても新鮮に響く事は確かであるし、そのように演奏出来るティルソン・トーマスの技量は多くの人間は軽視するかも知れないが侮れない ものがあることは事実である。しかしこの様な方法論を採用するのに、クラッシックの古典作品でなければならない必然性は一体どこにあるのであろうか?たし かに時代が志向する方向性は構造的音楽聴取を否定する方向へ向かうことは避けられないだろう。恐らく将来、クラッシック音楽における聴取のあり方はティル ソン・トーマスのように細部に対するこだわりを志向することで今までのクラッシック音楽における聴取を否定する方向が主流になる事だけは避けられない。

 しかしそれではあえて何故クラッシック音楽を選んで演奏してるのかというレゾン・デートルの次元でティルソン・トーマスは存在論的矛盾に陥っている。も しクラッシックに、未来が無いとするならば、ベートーヴェンではなくスティーヴ・ライヒを選択すべきである。しかしながら散々貶してきたもののティルソ ン・トーマスが今後音楽家として(クラッシックの音楽家としてではなく)どの様に大成してゆくのかとても楽しみである。


追記(2004年 11月 16日)

 はじめてMTTの仕事を聴いて、これを書いた2〜3年前から歳月が流れ、私の感想も大幅に変わりました。あの当時に書いたものは、かなり偉そうに書いて います。今読むとかなり赤面ものであります・・・。MTTの仕事を始めて聴いた時、その実力と感性の鋭さ、そしてそこから出てくる音楽に
おおいに戸惑いました。しかし私自身かなり余裕を持って捉えることができるようになっています。

 かつてのように名曲喫茶でしかめっ面をしてベートーヴェンの思想を拝聴するという聴かれ方から、ウォークマンの登場やiPodに体現されるような、いつ でも何処でも音楽が自分の気分にあわせて耳に入っていくという聴かれ方への変化を、私は否定的に捉えていました。昔書いた上記の感想は、構造的聴取はクラ シック音楽を支える絶対的な前提条件であるという立場に立脚したものです。しかし、閉じられた空間で音楽を共有するという音楽との関係は、たかだか19世 紀の半ばのヨーロッパで始ったしか過ぎない。時代が変われば、今までと違った音楽とのつき合い方が産まれてくるのは当然であるべきではないのか?

 実はMTTが目指そうとしている音楽は、複製技術によって音楽が何処にでも溢れている時代に、我々はベートーヴェンの音楽とどう付き合っていくのかとい う回答なのではないのかと、私は思います。MTTのベートーヴェンの第九の場合、意識の流れのなかで生成していく過程として細部が存在するのではなく、細 部の全てが等価の価値が与えられている。そのことで思わぬところで聴き手は美しい響きと遭遇するように考え尽くされている。

 このような演奏の背景にある考え方には、聴き手と音との思わぬ出会いこそが音楽であるという眼差であるという感性です。MTTのベートーヴェン全集は、 「家具の音楽」に始まった20世紀以降の音と人間との関係そのものを問い直す立場に立脚した仕事である。この新鮮な驚きはクラシック音楽が持っていた思想 には一切なかったものです。MTTのベートーヴェン演奏は現代という時代における音楽との関わりを問題提起しているという意味において非常に重要な演奏で す。



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